みなさんこんにちは、田舎の精肉店肉処とよた略して『肉とよ』です🍖
いつもはヨメが担当しているこのブログ。
今回も、肉旦那が「自営に至るまで」をつらつら書いてくれました!
お時間があれば、ぜひこちらの「自己紹介」もカテゴリー検索でどうぞ☆
【中学生時代】
- 第1弾『中学生時代、こんなことしてました考えてました。』
【高専時代】
- 第2弾『高専時代、僕は出会ってしまった。』
- 第3弾『経験から学ぶ大事のモノ=「時間」。』
- 第4弾『僕が思う「働く」とは。』
- 第5弾『進路の決定。』
【社会人編】
- 第6弾『「企業戦士」参る!』
- 第7弾『「働かないおじさん問題」の末に。』
↑前回の記事で「ターニグポイント、【父親】の思い」について書いてくれました。
退職が決まり、引き継ぎなども順調に進んでいた肉旦那と、当時の彼女(現在ヨメ)との間に授かった命‥
「無職で父親」への心配を払拭してくれた【父親たち】の思いを胸に、新たなステージへと突き進む‥!?
第9弾『長男誕生、からの単身赴任!?』のはじまりです!
今回の話は長男誕生からです。
あの時のことを思い出すと‥感動しかありません。
長男誕生!
嫁は初産、僕も初の立ち会いです。
これがなかなかの難産となり、陣痛はきたものの産まれる気配が一向になく‥
一般的、というか平均として陣痛がきてから8時間以内に産まれる、と聞いていましたが結果から言うと50時間後となりまして‥。
動いちゃダメ!ってことでずっと寝たきりでした
50時間のところで、医師からの「促進剤を使用しましょう」との提案を受けました。
定期的にくる陣痛に50時間も耐えていたので、このままではお母さんの出産の体力がなくなってしまう、とのことで。
自分でいうのもなんですが、寝たきりが故に変な余裕があったヨメです。
50時間、ずっと付き合ってくれていた肉旦那のほうが、心配と疲労で倒れそうでした‥
よく覚えていないけど、同意書みたいなのにサインしました。
出産は大きな痛みを伴うと言うし、この体力で新たな命を産めるのか、なんて不安になりながら、「とにかく早く!無事に産んで欲しい!!」と願いながら。
僕は男なので出産の時に祈ったり願ったりすることしか出来ません。
無責任なことを言うわけではなく事実なので。。
ただただ母子ともに無事健康に!と思いながら嫁の左手を握ってました。
陣痛がきたら吐く息とともに下に下に送り込むように呼吸をしたほうが良さそう‥という自己分析。
おかげで2人目からはみんな陣痛からトータル5時間前後、分娩ベッドに横たわって3リキミ!!という超・安・産でした☆
いざ出産!の時は尋常じゃない汗をかいていたので、ウチワで扇いでた記憶があります。
そんなことがありながらも、嫁は母子ともに健康な状態で無事に長男を出産!
産まれてすぐの長男を抱きかかえると、軽すぎて何も持っていないような感じで。
産まれた時ってこんなに軽いんだ‥
俺が抱えられないくらい重たくなるまでしっかり育てるからな‥!
って思いとともに泣いちゃいました。
こんな感動ってあるのか、ってくらい。
その時の僕の現状
家族が3人となり、さて僕の仕事はというと‥
飾らずにいえばアルバイト店員です。
飲食店で。
当時の時給は950円だったと思います。
情けなさと恥ずかしさを感じながらも、持ち前の自信から「まあ、なんとかなるな」と思っていた気がします。
ただただバイトをしていた訳ではなく、いつか起業して‥とは常に思っていました。
‥が。
「家族ができたこと」
「納得のいく物件などなかなかみつからないこと」
「今の自己資金や知識、経験値や人脈で本当に起業なんてできるのか」
「起業して家族を養っていけるのか」
などという、良くいえば『問題意識』、悪くいえば『逃げ口上・弱気・腰が引けてる』という心境に。
そんな時にひとつの転機がやってきます。
いざ単身赴任!
僕には1つ年上の姉がいるんですが、その姉と彼氏(後の夫)さんが「一緒に横浜に行かないか?」って誘ってくれたんです。
姉の彼氏さんは理容師をしており、理容の仕事をしながら日本を転々と周り、ぐるっと一巡したら自分で店を構えて起業しようとしている人でした。
「店を構えちゃうと日本を転々とするなんて出来なくなるから、起業する前にやっておきたい」とのことで。
その姉たちが「今静岡にいて、半年くらい経ったし次は横浜に行くんだけど一緒に行かない?飲食で起業するつもりなら都会の現状を肌で感じるのも勉強になるでしょ」って誘ってくれたんです。
悩むこともなく嫁に相談です。
嫁と長男を置いて横浜に半年くらい行きたい、って。
別に転勤でもなんでもないのに自己決定の単身赴任でしたが、嫁はなにも反対することなく了承してくれました。
箱入り娘なわけではなくただの面倒くさがり屋で、家事なんてできたもんじゃないヨメを厳しくもあたたかく指導してくれている義理父・母には、今でも感謝の気持ちしかありません。
長男が生まれて、でも肉旦那がいなくなる‥そんな心配は、はっきり言ってつゆほどもありませんでした(本気で)
‥‥‥
すぐに当時の職場に退職したい旨を伝えましたが、前職のように退職まで4ヶ月かかるなんてことはありません。
今月いっぱい、という形ですんなり退職。
荷物をまとめていざ単身横浜へ!
住まいは姉カップルと僕の3人でルームシェアする形でした。
その辺りの手続きは姉に任せてあったし、僕はただそこに自分の着るモノくらいを送るだけで、着の身着のまま出発しました。
今回の記事はここまで、続く次回に『横浜単身赴任編』を書きます。
この記事のまとめ
嫁子ども置いてひどい!と思われる方もいると思います。
子どもなんて産まれて数ヶ月です。
それでも、「今回の機会を逃すとこんな経験を積めるチャンスなんて来ない」と思ったし、このまま時給950円でアルバイトをしてても意味がないのも事実なわけで。
この行動力は僕の長所か短所かわからないけど、これだ!と思ったことはスパッと行きます。
あれだこれだ言ってそのチャンスを逃すような躊躇はしません。
そんな僕の性格を知ってか、文句や反対のひとつもなく送り出してくれた嫁には感謝します。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
続きも読んでもらえたらこれ幸い!