みなさんこんにちは、田舎の精肉店肉処とよた略して『肉とよ』です🍖
いつもはヨメが担当しているこのブログ。
今回も、肉旦那が「自営に至るまで」をつらつら書いてくれました!
お時間があれば、ぜひこちらの「自己紹介」もカテゴリー検索でどうぞ☆
【中学生時代】
- 第1弾『中学生時代、こんなことしてました考えてました。』
【高専時代】
- 第2弾『高専時代、僕は出会ってしまった。』
- 第3弾『経験から学ぶ大事のモノ=「時間」。』
- 第4弾『僕が思う「働く」とは。』
- 第5弾『進路の決定。』
↑前回の記事で「新社会人になっての生活」を書いてくれました。
早くも第7弾を迎えたこの肉旦那による自己紹介シリーズ。
企業コンプライアンスが今よりちゃんとしていない約15年前、社会の荒波に揉まれながらサラリーマンを謳歌していた肉旦那に起こった(起こした?)出来事とは、いったい何だったのでしょうか?
今回は、僕が働いていた鉄鋼会社を辞めるきっかけになった出来事について書いていきます。
会社にはいろんな人がいる
社会・経済はいろいろな人によって成り立っています。
僕が働いていた会社では、おおまかに作業をする現場スタッフと、それを円滑・効率的に動かす企画スタッフとがいました。
僕が配属された企画部署の上司やスタッフは、誰もがみな「なんでそんなに働けるの?おじさん」でした。
始業時間前から働き、就業時間後もサービス残業当たり前、休日の急な呼び出しにも応える‥まさにブラック企業何のその!の働きぶりです。
そんな僕が社会人になって約3年ほどたったときに、ある事件が起きました。
内容は、タイトルにもあるとおり『働かないおじさん事件』です。
働き過ぎな方々を間近に見ていたからか、生産ライン、いわゆる「現場」の”働かない・動きたくない”の気持ちがにじみ出ている人を見ると、内心ずっと腹が立っていました。
上司からは「私たち企画スタッフは現場と揉めたらダメ」と言われていたので、現場の作業員の人たちには表面上はおべんちゃら使ってましたが‥
僕らスタッフが立案した企画を現場に落とし込むことに、協力的な方も大勢いました。
『働かないおじさん』
僕が揉めたのは当時50歳くらいの作業員。
仮に頭文字をとってKさんとしますが、組合の支部長をしていたKはその肩書きからか、組合という立場を大いに使って現場作業の負荷増を極端に嫌う人でした。
作業の負荷が増えるといっても3時間の間に3分程度の作業が増えるものですよ?
「少しの作業によりこれほどの費用対効果が期待できる」という提案をしていたのですが、どうしても現場では承諾しない!という返事。
どれだけ案を出しても現場に落とし込めなくては結果も何もないので、企画スタッフとしては現場に頼み込む形になります。
でもその組合かぶれのKはあれこれ理由をつけてやらない、の一点張り。
どれだけ罵声を浴びたか‥終いにはそんなにやりたいならお前がやれとかガキみたいなことを言う始末。
根比べのように僕は説明を、組おじKは罵詈雑言を‥のいたちごっこ。
もういい加減疲れちゃったので、さすがに言っちゃダメかな?と思っていたことをとうとう言ってしまったんです。
「エロ本とパチンコ雑誌読むのがKさんの仕事ですか?」って。
入社以来、僕は時間があるとなるべく現場に足を運んでいたので、現場のそういうところも数多く見てきました。
規定の休憩時間以上に休憩し、作業間の隙間時間(15~20分)なんかに組おじKがエロ本とパチ雑誌読むのは最早当たり前の光景で。
毎日2~3時間はそんなことしてて、どうして3分の作業を2~3回出来ないんだって。
僕のこの発言によってK大激怒。
現場が鉄つくらないとお前ら飯食えんくせに偉そうなこと言うな!!とか言われたときには、あ、このおっさん完全にダメだと思いましたね‥
口論になったので周りの方に止められ、その場は収まりましたが、それを上司に報告してそこでお叱りを受けることに。
係長である直属の上司には「お前が言ったことは間違ってないよ。俺がKさんにかけ合っとくから心配するな。相手が相手だから一応課長には俺から報告しとく」と言われました。
でも、僕は組合というものがどれだけの力をもっているかわかっていなくて。
そして、Kがあれだけ威張り散らすくらいの力はもっていたようで。
その日のうちに部長と課長に呼ばれます。
課長で止まらず部長までいく話になってんのか‥と思いながら愛の説教部屋なる面談へ。
あれこれで1時間ほど話をしましたが、要約すると
- 企画スタッフなら現場を動かすことだけ考えろ
- そんな人間はどこに行っても一定数いる
- あんなこと言ってKが動くか?動かんやろ
- 結果として動いてないならお前のやり方は間違っている
というものでした。
この出来事がきっかけで、僕は会社を辞める決意をします。
会社を辞める、そのときに思うこと
あくまで”きっかけ”なだけです。
ほかにも辞める理由として、あの出来事までとはいいませんが、書かないだけで大小いろいろとありました。
ただ。
自分が将来30年から勤めた先に、今の部長席に僕が座っている画が想像できなくて。
こんなストレス抱えて、これからもっと大きなストレス浴びながら何年,何十年もここで働くなんて僕には無理だな‥と。
上司には「俺らはそれだけのお金をもらってる」なんて言われましたが、あの”働かないおじさん”代表のKも上場企業の正社員で良い給料をもらっていました。
‥とか思ったりしながら、ひとつのありきたりな結論に。
人生は金だけじゃない
お金は大事ですよ。
何をするにも、あれば「余裕」が生まれますし。
別の記事でも書こうと思っていますが「お金は大事」、それは事実です。
でもやりたいことも大事!
まず会社を辞めよう。
会社を辞めてから一度フラットな状態になってみよう。
ここで一度フリーになってしまおう。
そして考えよう。
‥‥‥
そして辞表を提出。
受理されて人事部や上司を交えての話し合いの結果、退職の日は4ヶ月後ということになりました。
僕が欠けるところの人の手配や、後任への業務の申し送りをするための期間です。
さあ、あと4ヶ月!目一杯やるぞ!!
‥から1ヶ月が経ったとき、衝撃の出来事がっ!!!
この記事のまとめ
僕の人生、保育園から始まって小学校→中学校→高専→高専専攻科→会社とここまで常に何かの組織に属してます。
でも僕は、ここでそこから辞する決意をしました。
両親とも話をして承諾を得ました。
最初は反対されましたが、最終的には父親から「好きなことやれ、ただし半端は許さん」との言葉をいただきました。
このままこの会社で働く方が半端だし、大企業企画職という立場での社会勉強は大きな経験値になったし、未練なんてない。
人は誰しも、大きな決断を迎えるときがきます。
そのときに、周りもそうですが、何より自分自身が納得のいくように、強い決意を持たなければなりません。
きっかけがどうであれ、そのとき、そのあとを僕は大事にしていきたいと思うのです。
大変長くなりました。
次の記事では、我が人生における衝撃の出来事を書こうと思います。
是非読んでください。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。