みなさんこんにちは、田舎の精肉店肉処とよた略して『肉とよ』です🍖
いつもはヨメが担当しているこのブログ。
今回も、肉旦那が「自営に至るまで」をつらつら書いてくれました!
お時間があれば、ぜひこちらからご覧ください☆
第1弾『中学生時代、こんなことしてました考えてました。』
第2弾『高専時代、僕は出会ってしまった。』
第3弾『経験から学ぶ大事のモノ=「時間」。』
つらつら書いていると高校生時代だけで第3記事まで来てしまいました。
※僕は高専に進学したので正確には「高専生」ですが‥
僕の人生の転機といってもいい時期の1つがこのときなので、もうちょっとお付き合いいただけたら嬉しいです。
さて。
今回は、僕が高専生時代にしたアルバイトと、そこで働きながら芽生えた僕なりの『考え』について書いていきます。
「働く」=『楽しい』
みなさん高校生の時にアルバイトの経験はありますか?
コンビニ・ファミレス・スーパーのレジ打ち‥などなど。
高校生の時に人生初のアルバイトをした人はある程度いるかと思います。
僕は部活をしなかったこともあり、高1の秋にアルバイトを始めました。
前回の記事にも書きましたが、最初はパチスロの種銭のつもり‥というなんとも不純な動機によるものです笑
パチスロも始めてすぐに収支が安定するほど甘いものじゃなく、少し負けが続いたら種銭がなくなってしまう‥そう考えていた時に、
という友達からの提案がきっかけとなり、そこへ面接をしに行くことになりました。
アルバイト先は地元の『焼肉屋』。
まあ本当にどこにでもある田舎の焼肉屋って感じのところです。
夫婦で厨房を切り盛りして、アルバイトがホールスタッフを担う形のお店。
そんなところなので面接なんていっても名ばかりのもので、別にあれこれ突っ込まれることもなく雇っていただくことに。
勤務日と勤務時間と時給だけ面接時に伝えられ、
トントン拍子に面接した次の日からアルバイトすることになりました。
今まで社会経験もない16歳の子どもだし、最初は緊張とともに戸惑いながら手探りで仕事をするだけでしたが、そのうち慣れてくるにつれアルバイトに行くこと、それ自体が楽しくなっていたのも鮮明に記憶しています。
『アルバイトをする』ということは「時給」よろしく働いた時間に応じてお金がもらえます。
いわゆる労働収入というやつですね。
今までは親から「お小遣い」をもらうことでしか自分が自由に使えるお金を手にすることはできなかった子どもが、アルバイトをすることで労働収入を得る。
人生初の「お給料」をもらった時の感想はなんとも言いがたい感動が‥
‥
‥‥いやいや、そういえば。
そんなこんなで、僕の場合はアルバイト代をもらった時の感想はちょっと複雑なところがありまして。
「アルバイトだったらマイナスになることはないんだな~」とか「友達と遊んでるような感じでお金をもらえるなんてありがたいな~」なんて思っていました笑
実際にアルバイト中に友達と遊んでいたわけじゃないですよ!
でも紹介してくれた友達や同世代の他校の友達と一緒にアルバイトしていたら、「働いてる」というよりは「遊びの延長」くらいに感じていたんですよね。
友達の家に行ってゲームするのと大差ない感じで。
今思えば良い職場だったんだと思います。
そんな職場だったから、週3程度のアルバイトをしつつ、学業をおろそかにすることもなく‥の学校生活(もちろんパチスロもしながら笑)を送ることが出来ました。
「働く」=『学ぶ』
ここでひとつお伝え。
僕が通った高専は5年制ですが、5年生修了時に試験をパスすることで更に2年間の修学をして大学出の資格となる「学士」を取得する『高専専攻科』なるものがあり、僕はその専攻科に進学しました。
僕は高専1年生からこの焼肉屋でアルバイトを始め、高専7年生まで、ここの店でしかアルバイトをしていません。
ここでも「1つのことを突き詰める力」を発揮したのか‥というよりは、すごく居心地が良かったんです。
アルバイトとしての業務内容ですが、はじめた当初はホールスタッフということでまずは配膳と接客。
これがまた楽しくて!
常連さんは自然と覚えるし、「兄ちゃんがんばってるなぁ~」と話しかけてもらえるし。
上記したようにアルバイト歴が長くなってくると、厨房仕事も教えてもらい更に楽しくなっていきました。
- お肉ってこうやって切るのか
- こうやって保存するのか
- こうやって味付けするのか
‥などなど、アルバイトながらにかなり突っ込んだ仕事をさせてもらいました。
「働く」=『考える』
アルバイトというよりは、もはや「仕事」という感覚になってきたのはこの頃。
その当時、アルバイトの自分でも分かるくらいに売り上げが落ちていたのですが、店主さんは経営努力をするわけでもなく「不景気だからな~」なんてぼやいていました。
いろいろ教えてもらっていたこともあり、勝手に責任感も芽生えて、店主さんに向かって「こうした方が良い」なんて意見したりしたっけ。
意見といっても考えなしに言ったわけじゃありませんよ。
僕は若造ながらも自分は現状をこう考えて、こういう策を打つことで、こういう結果が期待できるんじゃないか?という形で意見しました。
‥が。
結果から先に言うと『受け入れてもらえず』。
といった感じで、方向転換まではしなくても方向修正すらしない‥
当時の個人経営者って経営の舵を取れない人が多かったように思います。
‥‥‥
時は西暦2000年。
みんなが携帯を持ち出し、パソコンを所有し、広告媒体も数多くなった時代。
今現在のスマホまでではないにしろ、みんなが情報を共有するといった『時代』が大きく変わっていった時でした。
さらに大手飲食チェーンが地方展開していった時期でもあります。
当時、時代の流れに合わせた『健全な経営』をしたお店や企業は、業績を伸ばすことができました。
対して変わらなかった・変われなかったお店は衰退、廃業しています。
これは、都市部・地方、全国問わずどこも一緒だったと思います。
‥‥‥
そんな時代に僕は7年の学業を修め、高専卒業を迎える年に突入しました。
僕が通った高専専攻科の卒業というと。
一般的な進路は、大学院に編入しての「進学」か、はたまた「就職」か。
普通はその2択となりますが、それに加えて、アルバイト先での経験を経た僕の場合は「自分で店経営したら‥」なんて起業を考えての3択となりました。
この記事のまとめ
長くなってきたのでここで区切ります。
今回の記事では、アルバイトの経験から僕が感じたことを書かせていただきました。
7年間続けた焼肉屋のアルバイト。
同年代と一緒に働く楽しさだけでなく、経営することの難しさも見てきました。
僕は自他共に認める、根っからじっとしていられない性格をしています。
アルバイトの経験は焼肉屋1つとはいえ、その中で『楽しむ』だけではなく、いろいろなことを『学び』ながらたくさんの知識を増やし、「その時まず何をすべきか、何ができるか」を常日頃から『考え』ていました。
それは今でも変わらず大切にしていることだし、人生においても大事なことだと思っています。
次回は学生時代最終章『進路決定、その決意と親の言うことと』について書きたいと思います。
それではまた次の記事で!
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
続きも読んでもらえたらこれ幸い!