みなさんこんにちは、田舎の精肉店肉処とよた略して『肉とよ』です🍖
先月10日に中学校を卒業した長男に続き、同26日に次男も保育園卒園を迎えました。
新学期からは高校、そして小学校。
それぞれが新しい進学先に夢を抱いている今日このごろです。
そんなおめでたいこと尽くしを控えた春休みという長期休みを利用して、この度家族で旅行に行ってきました♡
”先行組”として、ヨメ父母+長男が26日より先入り。
3日遅れて29日、”追っかけ組”肉とよ家も鹿児島イン。
姉家族&先行組と合流を果たしたあとは、霧島キッチンで遊び晩ご飯に舌鼓。
翌30日、鹿児島市内の小高い丘にあるヨメ姉宅からの展望に目が冴えます。
灰により若干モヤっていますが‥
次男も「いいねぇ」と堪能されています‥が。
桜島、ソッチ二ナイ感。
名残惜しくも帰りの準備を済ませ、本日の目的”鹿児島市内観光”へと赴きます。
まずは恒例?のラーメンで腹ごしらえ。
地元の人に長年愛されている『ラーメン専門 明日香』さんへと行って参りました。
味噌味が有名とのことですが、ほかにも醤油やとんこつ・カレー味などバリエーションが豊かだったので、みんなで別々の味を注文して堪能させていただきました♡
※鹿児島旅行でのご飯レポは別記事にて書かせていただきます。
次に向かったのは、ヨメ姉旦那さんの従兄弟の方がされている精肉屋『肉の名門 一真』さん。
地元鹿児島なだけあって、新鮮な黒豚や鶏タタキなどが肉旦那も驚きの安さで販売されていました。
対面販売や各方面への卸しが中心ですが、最近ではふるさと納税の返礼品招致にも意欲的なんだとか。
鹿児島市内城山を背景に仁王立ちをする”西郷隆盛像”前にて家族で記念撮影。
江戸城無血開城や明治新政府樹立など、明治維新に最大の功績を残した西郷隆盛は、職を辞したあと鹿児島へと帰郷。
その後西南戦争で新政府軍と戦い敗北、この城山の地で自刃したそうです。
史跡・鶴丸城御楼門にて。
鹿児島城(鶴丸城)は島津家18代当主・初代藩主島津家久が建設に着手した居城で、背後の城山と麓の居館からなる城です。
こちらの御楼門はその居館正面に構える門。
明治6(1873)年の火災で焼失しましたが、2020年に日本最大の城門として復元されました。
御楼門の上を指し「鬼瓦が見える?」とのヨメ姉の言葉に‥
資料館にて、実物を前に‥
えぇえぇ、思わずやっちゃいますよね。
御楼門をくぐって、長女は上部に”鳩対策のトゲ”を見つけたようで。
大興奮の彼女、その着眼点オモロ。
御楼門を抜けた先、正面にあるのは”西南戦争の銃弾跡”でした。
熊本城を舞台にして籠城する新政府軍と、鹿児島から出陣した薩摩軍との激戦‥
最新鋭の武器などを装備していた新政府軍がだんだんと攻勢になり、次第に鹿児島まで追い詰められた薩摩軍は最後はここに籠城して戦いました。
この石垣に残された穴は、そのときに打ち込まれた無数の銃弾跡です。
今でこそ平穏な日本ではありますが、明治10年に勃発した西南戦争が日本での最後の内戦でした。
家路につく最中では‥
トイレ休憩に寄った先で、図ったかのような7並びにちょっと嬉しくなったり‥
九州・本州間の関門橋に、ホッとしたようなもの悲しさを感じたような‥
17時過ぎに出発した鹿児島旅行も、23時手前いよいよ終わりを迎えました。
自営という仕事柄、大なり小なりちょっとしたお出かけはあるものの、めったにできない家族旅行はとても楽しいものです。
先行組のコテージ泊にはじまり、霧島探索・鹿児島市内観光。
道中のわちゃわちゃでさえ楽しい旅行でした!
また折を見てになるとは思いますが、次の機会がもう待ち遠しいです笑
胸には記憶として、ブログでは記録として残させていただきました。
4回にわたっての長らくの家族旅行、お付き合いいただきありがとうございました!
‥なお。
鹿児島旅行番外編として『カゴシマ食道楽』を別記事にて書かせていただきますので、そちらもどうぞお読みいただければ幸い♡
おニクがよろしいようでっ🍖