みなさんこんにちは、田舎の精肉店肉処とよた略して『肉とよ』です🍖
松坂・神戸・米沢‥各地のブランド牛をはじめ、その見た目の美しさや美味しさから、世界中で愛されている”和牛”。
肉質の良い日本古来の在来種と、体の大きな外来種とを掛け合わせ品種改良をしたメイドインジャパンです。
和牛が世界で人気を博す一方で、もととなった在来種の頭数がだんだんと減少していっていることをご存じでしょうか。
今回はその在来種の1つ、山口県萩市見島を起源とした見島牛についてのお話をさせていただきます。
【原点”見島牛”】
筋肉に脂肪が霜降り状にはいる肉質、柔らかさ、そして旨み。
和牛は世界の国々で大人気で、日本が生んだ誇るべき品種といえるでしょう。
その原点ともいうべき牛が「見島牛(みしまうし)」です。
黒い小柄な体に立派な角が特徴の見島牛は、日本の在来種の1つです。
そんな見島牛は頭数を減らし、いまでは国の天然記念物として山口県でのみ保護されている状態です。
【働き手だった牛】
かつて日本に牛はいませんでした。
弥生時代に米とともに農耕用として海を渡ってきた、と考えられています。
その後、稲作の普及に伴って各地に広まり、日本の風土に合わせて変化してきました。
また、仏教の影響もあって、昔は肉食は盛んではありませんでした。
そのため、牛は食肉用ではなく、田畑を耕したり荷物を運んだりと、ともに汗を流す働き手として暮らしてきました。
https://www.nikutoyo.com/meat-history%e2%91%a0/
【和牛の誕生】
明治時代になり西洋文化が入ってくると、日本でも肉食が広まりました。
そして日本の牛は、海外の牛と違って霜降りの肉質であることが分かりました。
それならば、小柄ながらおいしい日本の牛と、体格の良い海外の牛とを掛け合わせれば、ステキな食肉用牛ができると思われました。
しかし実際にやってみると難しく、多くの試行錯誤が繰り返されました。
そうして長い年月をかけて、肉質の良さはそのままに、成長が早く、体の大きな食肉用牛が生まれました。
スーパーブランド「和牛」の誕生です。
日本中で新しい品種が育てられ、多くの人たちがおいしい牛肉を楽しむことができるようになりました。
和牛は世界に輸出され、高級ビーフとして不動の地位を確立したのです。
【失ってはじめて気付く】
その一方で、ふと気が付くと昔ながらの日本の牛はいなくなっていました。
牛は人間が品種改良してきた動物です。
動物の性質は、性質が異なるお父さんとお母さんの遺伝子が混ざることによって改良できます。
そのためいろいろな遺伝子をもつお父さんとお母さんがいなければ改良もできなくなります。
一度失われてしまうと、同じ牛を取り戻すことはできないのです。
かつては大事な働き手だった牛たち。
いまでは農業は機械化され、牛たちの活躍の場がなくなると同時に居場所もなくなっていたのです。
追い詰められた牛たちは、離島でわずかに生き残るのみでした。
見島の牛たちは、国の天然記念物として保護されることになりました。
いまではわずか数十頭しかいません。
貴重な牛たちが一カ所に集まっていると、もしも伝染病が流行した際に、全頭が被害にあってしまうかもしれません。
そこで、県内数カ所で分散して飼うことになりました。
種の保存という意味もありますが、和牛のルーツとして”なぜ霜降り肉ができるのか”という謎を解く研究にもなされているのです。
世界を席巻する和牛ブームの影で、そのルーツとなった牛たちは消え去ろうとしています。
いち消費者である私たちにはその事実を胸にとどめておくことしかできませんが、少しでも気にすることで将来何かが変わるかもしれません。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。