みなさんこんにちは、田舎の精肉店肉処とよた略して『肉とよ』です🍖
いつもはヨメが担当しているこのブログ。
今回も、肉旦那が「自営に至るまで」をつらつら書いてくれました!
お時間があれば、ぜひこちらの「自己紹介」もカテゴリー検索でどうぞ☆
【中学生時代】
- 第1弾『中学生時代、こんなことしてました考えてました。』
【高専時代】
- 第2弾『高専時代、僕は出会ってしまった。』
- 第3弾『経験から学ぶ大事のモノ=「時間」。』
- 第4弾『僕が思う「働く」とは。』
↑前回の記事で「進路の決定」について書いてくれました。
早くも第6弾を迎えたこの肉旦那による自己紹介シリーズ。
高専を卒業し、新社会人として肉旦那を待ち受けているものとは‥っ!
今回は新卒社会人編としてお送りします。
まずは‥社名ですかね。。。
とはいっても、こういうところで表示して良いのか分からないので、とりあえず社名は伏せておこう。
僕が働いていた当時、一部上場の鉄鋼関係の会社とだけいっておきます。
「当時」といったのは今は統合して鉄鋼国内最大手の企業となっているからです。
大企業とあって拠点は全国いろんなところにありましたが、僕は広島県への配属となりました。
ブラック?なにそれ、おいしいモノ?
鉄鋼関係の会社に入社したからといって僕が鉄を作ったり鋼をつくるわけではありません。
実際につくるのはラインスタッフ。
三交代勤務で24時間製造ラインを動かす作業員の方々です。
僕の仕事はというと、その製造ラインをより円滑に、より効率的に動かすことでした。
例えば同じ時間で、
- より生産量を増やす
- より低コストでつくる
- より品質不良を減らす
- より少人数で動かす
などの案を起こし、それを現場に落とし込むよう企画すること‥です。
いわゆる『企画専門職』ということになります。
だいたいそんな業務をしてました、という紹介が終わったところで早速言わせてもらうと‥
まぁ、
普っっっ通に
ブラックでしたね笑
毎日8時何分かが始業時間で、17時何分かが終業時間でしたか。
そんな中で7時に出社、22時に退社がもう当たり前も当たり前。
時間外が毎日6時間程度、月120時間は時間外労働があったと思いますが「残業手当は10時間しか申請するな!」ってことで仕事してました。
これは部署ごとに差があったので同期一律でそうだったわけではないですが、僕の同期で1番やってたのが月200時間の残業。
一方で、定時17時にスパッと帰れる同期もいました。
要は配属部署によって負荷があまりにも違いすぎました。
ようは配属ガチャに負けたんですね笑
さて。
こんなことを書いていますが、当時は別にブラックだなんて思ってません。
今からいえば約15年前‥2005年くらいでしょうか。
まだ『ブラック企業』なんて言葉も一般的に使われていないし、企業コンプライアンスについて世の中が騒ぐ前の話です。
そもそも、本当にブラックという概念がなかったので。
そんな当時なので特にブラックだ、なんて思わずに日々の業務をこなしていました。
「仕事ってこんなもん、みんな頑張ってるなぁ‥」と思いながら。
「社会人」を謳歌
その中にありながらも仕事はしっかりしていました。
社会人になってからいろんなことを経験しました。
24歳の時に早稲田大学の教壇に立ち、鉄鋼関係の論文発表をしました。
僕の人生であの地に足を踏み入れることは後にも先にもあの一度きりでしょう笑
特許の申請もしました。
僕の名前で!ですよ!!
接待やゴルフコンペもありました。
協力会社の方や取引きメーカーの方に接待していただいたり。
休みの日は英気を養うべくパチスロしたり!
ゲームしたり!
同僚と飲みに出たり!
市民球場にプロ野球の観戦に行ったり!
‥‥‥
‥が。
入社から3年目の時に事件が起きました。
事件といっても僕が起こしたモノなんですが‥
これにより僕は辞職を決意します。
ヨメによる閑話
ヨメが肉旦那と知り合ったのは、肉旦那がこの「社会人を謳歌」している2年目あたりでしたか‥
他人の色恋沙汰とかどうでもいい‥なんて聞こえてきそうなので、話をもとに戻すと。
本当は、肉旦那がつらつらしてくれたこの記事にはまだまだ続きがありました。
3年目の「事件」について、その当時を思い出した肉旦那の筆が止まらず、ここからさらに2000文字を超える思いが溢れていたのですが‥
社会人として「働いているとぶつかる壁」とでもいいましょうか。
この「続き」に登場する人や出来事については、肉旦那ほどではないですが社会人をしていたヨメ自身にもなんとなく思うことがありました。
その溢れる思い、せっかくなので『社会人編②』として別記事にてご紹介しようと思います。
閑話休題!
この記事のまとめ
高専卒業から運良く就活第1社目で入れた鉄鋼会社、そこでの新社会人としての生活を綴りました。
僕が社会人になった2005年頃は
- サービス残業・休日の呼び出し当たり前
- 定時には自分の仕事は終わっているけど、先輩より早く帰れない
- パワハラ・セクハラ何のその
などといった、いわゆる『ブラック企業』が普通にあった時代でした。
高度経済期、バブル期、バブル崩壊期、経済低迷期、そして僕が社会にでたあの頃。
ブラックという言葉が生まれる前からそれが当たり前だった社会で、僕も荒波に揉まれながら働いていました。
そんな中でも会社の先輩や同僚、取引先の方たちとの交流などで、一端の社会人として成長していたんだ!と自負しています。
そう、あの事件が起きるまでは‥
続きはまた次の記事で!
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
続きも読んでもらえたらこれ幸い!