みなさんこんにちは、田舎の精肉店肉処とよた略して『肉とよ』です🍖
いつもはヨメが担当しているこのブログ。
今回も、肉旦那が「自営に至るまで」をつらつら書いてくれました!
お時間があれば、ぜひこちらからご覧ください☆
第1弾『中学生時代、こんなことしてました考えてました。』
第2弾『高専時代、僕は出会ってしまった。』
第3弾『経験から学ぶ大事のモノ=「時間」。』
第4弾『僕が思う「働く」とは。』
今回が学生時代最終回になります。
学生時代の最終章となるのは、そう、卒業‥の前の大事な選択『進路の決定』です。
前回の最後にも少し書きましたが、僕の場合の進路は3択になりました。
就職か、進学か、起業か
僕が通った高専は5年制ですが、5年生修了時に試験をパスすることで更に2年間の修学をして大学出の資格となる「学士」を取得する『高専専攻科』なるものがあり、僕はその専攻科に進学していました。
そこからさらに大学院に編入する‥
『進学』という選択肢もあるにはあったのですが、もう学士までくると自分の頭の限界が見えてきたので進学は考えませんでした。
勉学に使った時間が圧倒的に少ないからこそ、そう思ったといいますか。
自分のここまでの人生を振り返っても勉学にそこまで本気になっていないので、本気で取り組めば限界なんてものはまだまだ先にあったのかもしれません。
自分を過大評価するわけではありませんが、「勉強の効率化」に関してはほかの人より深く考えていたと思うし。
‥なので。
進学先での「学」ははたして僕に必要なのか、を考えたときに想像できなかったんですよね。
大学院に進学できることも才能です。
でも、22歳という時期にその選択が出来るっていうのは難しいことなんだ、とも思います。
40歳近くなってきて社会や経済が分かってくると大学院への進学は最適解だったのかもしれない、と思うことはたしかにあります。
このような後悔というか後の祭りみたいなことは、大小ありますがみなさんも経験するところでしょうね。
‥‥‥
高専に通っていた7年間続けたアルバイト先・焼肉屋での経験も、進路の選択にかんでいます。
パチスロの種銭のために‥なんて、なんとも不純な動機からはじめたアルバイトでしたが、働くことの楽しさはもちろん、不景気な中での経営努力など、いろいろと思うことがありました。
と、諦めモードで何もしないでぼやく店主に対し、「自分が経営したら‥」との思いから生まれた『起業』という選択。
とはいえ、選択肢として考えてはいたものの、実際のところは現金もなく、融資を受けるほどの信用もなく、なにもかもかなぐり捨ててMAX全開そこに注力するほどの決意もなく。
まだまだ「時期尚早」感は否めませんでした。
僕の選択
そんな消去法の中で残ったのは『就職』でした。
就職といっても大別して2択となります。
- 学校求人、学校推薦のある企業を選ぶ
- 自分のしたいことを優先してその道に進む
僕の場合は飲食店での起業を考えていたので「飲食の道に進むか」でした。
僕は将来的に飲食で起業するからそっちの道へ進みたい旨を先生や両親に伝えました。
そうしたら猛反対を受けることに…笑
飲食関係の求人だって「『高』卒以上」だろ!
大卒なんだし、しかも新卒で飲食を選ぶ理由はなくないか!?
そのとき自分でも調べてみましたが、『新卒カード』と呼ばれる武器は非常に強力なモノなんですね。
今は「新卒カード」の効力は多少減ってきていると思いますが、企業によってはまだまだ色濃く残っているのも事実。
新卒一括採用は日本の文化なんですかね?
とにかく当時の新卒は超強力カードでした。
周りからの猛反対をうけ自分でも考えてみましたが、
‥と思ったこともあり大企業の採用試験を受けることにします。
‥‥‥
3次選考まであったかな‥就職採用試験の結果は合格。
ここに特筆すべきことはないので省略します。
合格の通知は受けたものの、これは自分のやりたいことなのか?という葛藤が常にありましたが‥
合わなければ辞めたらいい。
辞めた後に自分がやりたいことをやればいい。
仕事が合うならせっかく入った大企業だ、そのままサラリーマンしたらいい。
といった考え方をするようになりました。
父の背中
大企業への就職という形で進路も決まりましたが、これに喜んだのが父親。
僕が大企業への就職を決めた理由の1つに、父親の意向もありました。
僕の父は中卒でサラリーマンをしており、「学歴がないことで苦労した」とも言っていました。
そんな、学歴がないことをバネに頑張っていた父の背中を見て育ちました。
僕の父は地元零細企業で土木関係の仕事をしていました。
土木のことはよくわかりませんが、なにやら難しい資格を取るとかで、父が50歳くらいの頃でしたか‥仕事が終わって帰宅してからすぐに分厚い本を開きながら勉強していました。
朝も4時から出勤の7時まで勉強。
試験に落ちたからもう一回受ける!とさらに勉強。
そんな姿を見た記憶が今でもあります。
試験にも受かり、地合いが良かった頃に「年収1000万を2回だけ取った」と‥自慢とまではいいませんが、そんな父の『俺はやったぞ!』という姿を見ました。
いわゆる「たたき上げ」とか「雑草魂」とかですね。
‥‥‥
学歴に泣いた父でしたから
息子である僕には学を積ませたい・学歴をつけて大企業に就職してほしい
と願っていたようです。
そんな父の願いもありながら、進路先は『就職』となりました。
‥が、決めたのは結局僕、自分自身でもあります。
両親や先生、先輩や友達と話しての結論ですが、決めたのは自分。
自分の人生なんだから最終的な決定を下すのは自分です。
自分の選択になんの後悔もありません。
この記事のまとめ
‥といった感じで就職を決め、学生として残すところは単位取得と卒業論文。
なのですが‥
ここも特筆することないので省略!!笑
高専時代の話が長くなりましたが、小学校1年生から始まった「学生」というカテゴリーを終え、新たなカテゴリー「社会人」へと進みます。
次回は社会人編です。
ここまで高専時代のことをいろいろと書いてきましたが、この高専7年間、僕はずっと金髪でした笑
髭が生えそろうと髭も整え、タバコ、酒、パチスロ、麻雀などを嗜み、嫁が見るからあまり言えないけど恋愛もほどほどに‥
学生生活の中でやりたいことやり尽くして謳歌した自負はあります!!笑
これだけ好きにやらせてもらって親に感謝ですね。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
続きも読んでもらえたらこれ幸い!