みなさんこんにちは、田舎の精肉店肉処とよた略して『肉とよ』です🍖
肉とよ家がある宇部市のお隣山陽小野田市は、明治に国内初の民間セメント会社『小野田セメント(現・太平洋セメント)』が開業され、実際にセメント町と呼ばれる地区もある市です。
観光協会が作成したマップには、小野田セメントや初代社長である順八翁の足跡を辿る建物などが紹介されていました。
- 笠井順八翁像
- 住吉神社
- 山手倶楽部
- 旧セメント社宅(龍遊館)
- 若山公園
- 笠井順八翁頌徳碑
- 徳利窯
このうち、過去の記事では①~⑥をご紹介いたしました。
今回はシリーズ(という名の分割)でお届け『小野田セメント遺産めぐり』の締めくくり第3段、⑦徳利窯・その他を歩いてきました!
小野田セメント遺産めぐり!
①~⑥は、若山公園(もともとは笠井順八翁の私庭)を中心に半径1㎞圏内にありました。
‥が、今回の目的である⑦徳利窯はちょっと離れたところにあります。
観光協会が作成したマップをもとに、若山公園から車で5分ちょっとの南小野田駅、その近くの見学者用駐車場へと向かいました。
旧セメント本社‥もとい、現在の太平洋セメント入り口手前に設置された駐車場に着いたのですが‥
この日は会社の春の清掃活動中だったのでしょうか‥
しょうがないので、ちょっと行った先の新沖緑地公園というところに停めさせてもらいました。
せっかくなので、こちらを先に散策していきましょう☆
新沖緑地公園
木陰が気持ちの良い公園です。
駐車場も道路からちょっと逸れたところにあるし、ママ友&ヨメが車を停めた際も、お昼・外回りの方々なのかな?が結構な数で休憩されていました。
入ってすぐ、小野田の石炭の歴史を紹介するモニュメント?壁??のようなものがありました。
1873(明治6)年、「日本抗法」というものが交付され民間での炭鉱事業が盛んになり、この地域でも新沖の山炭鉱として石炭が採られていました。
戦後の最盛期には大小13の炭鉱がありましたが、燃料が石炭から石油に変わったことで、1963(昭和38)年に、小野田の炭鉱はその役目を終え姿を消しました。
ちょっと見づらいけど、公園のマップです。
端から端まではおよそ300m。
住宅地の中にあるので、ちょっとした散歩にも良さそうです♪
東屋やトイレもあり、木陰も気持ちが良く、まったりできそうな雰囲気。
‥とはいえ、遊具があるわけでもなく。
見つけた飲用水道も‥まさかの蛇口ナシ(笑)
見はらしの良い芝生の”ふれあい広場”・山あり谷なし”自由広場”・この時期水がカラッカラ”水の広場”‥3カ所ほどまったりゾーンがあるので、訪れた際はごゆくりくつろげますよ☆
‥‥‥
新沖緑地公園を横切り、道沿いにズンズン歩いて行きます。
歩いて10分、先ほど停められなかった見学者用駐車場にようやく到着。
さっそく徳利窯へ!‥と向かった矢先。
そんなわけで挙動不審を隠しつつ‥
旧セメント本社が正面にまぶしくたたずむ、太平洋セメントへと潜入!
門を入って左手にあった守衛所で「徳利窯の見学をしたい」旨を伝えると、守衛室の気さくなおばちゃんが「どうぞどうぞご自由に~」となんともゆるい対応をしてくれました。
先ほどの入り口に戻り、道順を確認して‥
いざ行かん徳利窯!!
⑦徳利窯
ここにある徳利窯は、1883(明治16)年に小野田セメントが創業したときに造られた4基のうちの1基をのちに改造し大型化したものです。
国内に現存する唯一のものであり、大切な産業遺産でもあります。
セメントは1824年にイギリス人により発明され誕生したといわれています。
セメントを製造する工程は4つに分けられますが、焼塊(しょうかい)をつくる焼成過程がもっとも大切。
焼成窯の型式はセメントの品質や原価に大きく関わってくるため、現在までも引き続いて改良が成されています。
日本でこれまで使用されてきた焼成窯は4種類あり、主なものにセメント製造の初期において使用されていた徳利に似た形状から”徳利窯”と呼ばれている「竪窯(たてがま)」と、現在でも使用されている円筒を横にした形状の「回転窯」とがあります。
窯内の下にある火床と呼ばれる火格子の上に燃料の石炭と石灰・川で採ってきた泥土を混ぜて塊にした原料を、交互に12~13回積み重ねます。
窯内の最大径のところまで積み重ね点火、平均7昼夜をかけて焼成すると焼塊ができます。
窯の中の火が消えて焼成が終わったのを見届けてから、下部の火床を外し焼塊を取り出す‥という感じ。
‥‥‥
セメント製造初期において用いられた焼成窯のほとんどは徳利窯で、太平洋セメント(当時の小野田セメント)創業初期は1回の運転で得られる焼塊の量は約10トンに過ぎませんでした。
しかし、明治末期から次第に生産能力が高く、品質の良い回転窯にかわり、大正10年代に入ると国内の徳利窯は姿を消していきました。
ちなみにその後も改良が重ねられ、昭和40年代以降は熱効率をよくするために、予熱機を付けた高い塔のような回転窯が主流となりました。
今では1日の生産能力は5千トン、品質・効率ともに飛躍的に向上しています。
徳利窯の横には、焼成した焼塊を粉砕してセメントにする機械を動かすための蒸気機関や、木製の樽(セメントを出荷するための容器)を製造する製樽機などが展示されていました。
大きさの比較として、ヨメ、横に立ってみました。
徳利窯から振り返ると‥海!
見はらしの良い場所に、悠然とたたずむ徳利窯でした。
ちなみに情報。
見学者のみなさんにと、飲用水道もある粋な計らいもイイネ☆
まとめ
『小野田セメント遺産めぐり』として、3回にわたっていろいろな場所をご紹介させていただきました。
- 笠井順八翁像
- 住吉神社
- 山手倶楽部
- 旧セメント社宅(龍遊館)
- 若山公園
- 笠井順八翁頌徳碑
- 徳利窯
このほかにも、場所場所で”愛すべき地元企業”を感じることができました。
幼いころにした課外授業や社会見学を思い出すような、そんな史跡めぐり。
地元に誇れるものがある、というのは本当にステキなことです。
みなさんが住んでいる街にもきっとそんな場所があるので、ぜひめぐってみてくださいね♪
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。